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梅丘の歴史

 昔の梅丘・豪徳寺

      世田ヶ谷村について東京府志料(明治七年編)によると、

           日本橋より三里半、東は代田、若林、上馬引沢の三村、南は弦巻、用賀、瀬mの三村、西は経堂

   在家村を包みて神奈川県管下多摩郡大蔵村、舟橋にて隣れり。北は北沢、赤堤、松原の三村なり。

   相伝う此地は昔吉良氏の盛なりし頃城下町なりしかば殊に繁栄の地なり。因て後世まで本宿などと

   唱えしかど夫も今は知る人稀なりと云(以下省略、一部かな遣いを改める)―

   とありますが、十四世紀に吉良氏が世田谷に館を構え、のち徳川の時代に代わって井伊氏が所領

   した後も、世田ヶ谷村は勢田郷の中心地として栄えてきました。 世田ヶ谷村に元宿と呼ばれた地

   名がありますが、ここはもと鎌倉へ通じる道の宿場だったと考えられる所です。この西端の崖上に

   立つと現在の城趾公園、豪徳寺、その周辺一帯の半島上の大地が一望できる防衛上の大事な場所で

   あったことから、吉良氏はここに重臣たちを住まわせて城下町としての守りを固めていたと見られ

   ます。 

梅丘1丁目町会

梅丘1丁目町会は区のほぼ中央に位置し駅を囲んで、梅丘商店街振興組合(本通り・仲通り・駅前通り)と簡素な住宅街とからなります。梅まつりには梅夢フェスタとフリーマーケット。夏は納涼祭、秋には、お祭やハロウィンパーティ等があり、梅丘まちづくりセンターと区立梅丘地区会館、児童遊園、隣接施設には区立保健医療福祉総合プラザ(うめとぴあ)、児童相談所と福祉関係施設が集中している街です。梅ヶ丘駅から新宿、渋谷にも交通の便がとても良く、楽しい住みやすい街です。

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近隣の施設

うめとぴあ

世田谷区立保健医療福祉総合プラザ

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東京リハビリテーションセンター世田谷

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羽根木公園の銀杏並木

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